早期退職の盲点?無職生活に感じる後ろめたさとその解決策

早期退職を決断する際、最も大きな支えとなったのは家族でした。特に、妻の理解と応援がなければ、僕はこの大きな決断を下すことはできませんでした。しかし、いざ無職の生活が始まってみると、当初は想像もしていなかった感情が芽生えてきました。それは、家族に対する「後ろめたさ」です。
仕事を辞め、自由な時間を手に入れたものの、家族、とりわけ毎日パートに出ている妻を見ていると、自分だけが何もしていないような気がして、どうしても心のどこかで負い目を感じてしまいます。この後ろめたさは、まだ働いている、早期退職を考えている段階の人にとって、想像しにくいかもしれません。今回は家族に対する後ろめたさについて、僕が感じた経験と、どのように向き合っているのかを紹介します。

1.妻の理解と支えがあったからこそ

早期退職を支えた妻の言葉
早期退職を決断した際、妻は快く受け入れてくれました。「煮え切らない状態で仕事を続けるより、何かに熱中して毎日を過ごせる方が良いよ」と言って、僕の気持ちを理解してくれたことに本当に感謝しています。退職の相談をした時に「1年くらいは無職のままかもしれない」と話した際も、「焦らなくていい、歳を取ってからの仕事なんだから、納得いくまでゆっくり探せばいい」と励ましてくれました。

妻の理解と寄り添いに感謝する日々
妻は普段から僕の仕事の話をよく聞いてくれました。内容はあまり分からないこともあったと思いますが、嬉しかったことや苦しかったこと、悩んでいることも親身になって聞いてくれました。勝手な想像ですが、仕事に熱中している僕の姿が好きだったんだと思います。

2.無職期間への不安と葛藤

無職の時間が生み出す葛藤
早期退職から5か月が経過し、僕はまだ仕事を始める予定がありません。その間、妻はパートで週に5日働いています。妻も約3年前に長く勤めた職場を退職し、無職の時期がありましたが、3か月ほど経った頃に今の職場から誘いがあり、パートを始めました。当時、僕は「もっとゆっくりすればいいんじゃないか」と提案しましたが、妻は「何もせずに家にいるのも暇だし、折角、誘いがあったので働きに行く」と言って再就職を決めました。

妻の勤勉さに感心し、自分の選択に葛藤する
自分だったらもっとゆっくりするだろうし、妻の勤勉さに感心しました。自分が何もしないでいることへの葛藤が日増しに強くなります。

3.後ろめたさを感じる瞬間

後ろめたさが湧き出す場面
僕が無職のままでいることについて、今、妻がどう思っているのか気になります。事前に「1年くらい働かないかもしれない」と伝えているので、妻が再就職を急かすことはありません。きっと妻は本当に何も気にしていないと思うのですが、僕の中で勝手に後ろめたい気持ちが湧いてくるのです。

無収入の自分に対する無力感
妻が仕事から疲れて帰ってきた時や、パート代を貰ってくる日は特に後ろめたい気持ちが強くなります。月に10万円ほどのパート代を頂いてくる妻に対し、僕は5ヶ月間無収入。少し大げさですが、自分の存在意義が分からなくなるような感覚もあります。

4.後ろめたさを軽減する方法

後ろめたさに向き合う小さな工夫
今の生活は自分が選んだものですが、申し訳ない気持ちでいっぱいになる瞬間はつらいものです。何か対策をしなければと思い、始めたのが「1日1つ家のことをこなす」ことでした。トイレ掃除や換気扇の掃除、ちょっとした買い物、気がついたことを少しするだけで、気持ちが楽になります。

小さな行動で自分を取り戻す
そんなことかと感じる人が多いかと思いますが、本当にこの小さな行動で後ろめたさが少し軽減され、心が軽くなります。申し訳ない気持ちが完全に解消されるわけではありませんが、少なくとも何もしないよりは遥かに健全です。こんな時は、自分の単純な性格に感謝します。

5.自分自身と向き合う大切さ

後ろめたさは自然な感情
若くして働かない時間が続くと、家族や周囲に対し後ろめたさを感じるのは自然なことです。無職の状態が続くと誰もが感じる感情だと思います。僕のような小さな行動がすべての人の気持ちを解消するわけではないですが、自分の存在価値を確認する作業は有効です。

早期退職の選択を大切に生きる
僕は、自分自身が納得した毎日を送り、妻が許してくれた自由な時間を無駄にせず、大切に過ごすことが重要だと感じています。充実した人生を歩むために選んだ早期退職です。自分がそれまでの仕事以上に何を大切にしたかったのか、何のために今の生活を選んだのかをもう一度考え、有意義に過ごしていくことが、家族への感謝につながるのです。僕と同じような感じで早期退職をされた方、後ろめたさを感じて早々に再就職を考えるなんてことにならないようにお互い気をつけましょうね^^。

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